盛岡第5団のあゆみ

5団創設時の集合写真
5団創設時の集合写真

 盛岡第5団の歴史は、1947年(昭和22年)までさかのぼることができます。中学2年生5人が、ラジオ英語の雑誌にあったアメリカのボーイスカウトの姿にあこがれ、見よう見まねで制服・ネッカチーフをありあわせのもので作りました。制帽に関しては米軍のキャップを手に入れようということになり、当時の岩手駐留軍の司令官の邸宅にキャップをもらえないかと頼みにいきました。司令官は、「自分はイーグルスカウトだった」(アメリカのボーイスカウトの最高の章)と、キャップだけでなく、創始者ベーデン=パウエルの著作『スカウティング・フォア・ボーイズ』の原書をくれました。彼らは軍隊の教本やこの『スカウティング・フォア・ボーイズ』をもとに訓練テキストを作り、活動していました。

 

 ところが、少年たちが『スカウティング・フォア・ボーイズ』にあった理念のもとに、交通整理や地域清掃などの奉仕活動をしていた最中、とある事件が起きたのです。既に正式に発隊していた別の隊の指導者に、「君らにスカウトの資格は無い!ただのモノマネだ!」という内容のことを言われてしまいます。この時彼らはたいへん悔しい思いをしました。しかしその悔しさから、活動にますます勢いが生まれ、1949年(昭和24年)には正式に盛岡第5団として、日本連盟に登録することになったのです。ボーイスカウトの中の重要な理念の1つである「自発活動」。盛岡第5団は、まさに少年たちの自発活動が起源なのです。

 

参考:「ボーイスカウト事始め」(『ボーイスカウト盛岡第5団 50周年記念誌』pp.37-38)

 

 

<年表>  

1947年(S22)

盛岡市加賀野近辺の少年たちが活動を開始
1949年(S24)  ボーイスカウト盛岡第5隊として日本連盟に正式に登録(No.529)
1953年(S53) 年長隊(現在のベンチャー隊)が発隊(No.18)
1960年(S35) 年少隊(現在のカブ隊)が発隊(No.410)
1982年(S57) ビーバー隊が発隊(日本連盟にまだ無かったため非公認)
1986年(S61) 日本連盟がビーバー部門を設置し、ビーバー隊が正式に発隊
1988年(S63) 育成会広報紙「グリーンチーフ」第1号発行
1999年(H11) 発団50周年
2009年(H21) 発団60周年
2014年(H26) 発団65周年記念として、さんさ踊りに団として参加